最終判断

夕方、妹の体調が復活して家族待機室に戻って来てからしばらくしてイケメン脳外科医に再び呼び出され、現状の説明と最終通告の時の今後の治療方針について、答えを求められた。しかし共倒れされて、とても話し合いをする場を持てる状態ではなかったので、もう少し時間を下さいと伝えた。
妹を連れ、イスのある場所でと言うことで一階のロビーで、叔父、叔母と妹を交え、最終通告された話と最終判断の話したところ、妹は一気に泣き崩れた。しばらくは取り乱した状態だった。
自分として救急車に乗った時点でこういう事態は想定していて、どのポイントで行くべきかずっと考えていたが、父の誕生日は3月23日であり、もうすぐである。倒れる前も治療していくなかで、認可前の治検薬を試して少しでも良くなるように努力していた父である。自分がしてあげられる最後のことは、少しでも長生きさせてあげることでなかろうかと考えた。なので61歳の誕生日まで頑張ってもらおうと考えた。
ようやく落ち着いてきた妹に誕生日23日でいいか?と訪ねたところ了承してもらえた。母にも同じ話をしなければならないが、まだショック状態から復活し切れている状態ではないので、様子を見て叔母に伝えてもらうことにした。3日と言う日数があり少し引っ張るが、それまでの間に母と妹にショックと体調不良から立ち直ってもらい、それまでに死と言う現実を受け入れれる様に心の整理をして欲しいと思う。
決定した事をすぐにイケメ脳外科医に伝えたかったが、緊急の患者のオペ中と言うことで後ほど呼び出してもらうことにして、午前1時過ぎにオペが終わった後に呼び出され、「23日の誕生日までは生かせてあげたい」との今後の方針を伝えた。そこまで持たないかもしれないが、やれる限りはやってもらうことになった。ただし骨折が伴う心臓マッサージはしないこととなった。
正直なところ、この最終治療方針は言い方を変えれば「人の命を絶つ日」を自分が決めて伝えたわけであり、自分としてもすごく悲しいことだった。妹と同様に泣きたい気持ちだった。しかし長男として自分が決めなければならないことであるので、やむ得ないがとても辛かった。