トラブル 地震発生

バスは淡路島の淡路町を過ぎたあたりをかっ飛ばしているときに、隣の座席に座っているねえちゃんに携帯が掛かってきた。どうやらどこかで地震があり、心配した友人が電話を掛けてきたらしい。かなり大きな地震であったようだが、どこで揺すったのか分からない。バスに乗っている限り、地震の揺れは感じなかった。
三宮に着き、改札前の電光掲示板を見ると、地震は関西で揺すったようでダイヤが乱れているようだ。新快速は約20分遅れで運行しているとのことであった。しかしこれはラッキー。遅れている影響で30分間隔で走っている新快速であるが予定していたよりも早く乗れそうである。家人への関西での定番のお土産である551蓬莱の豚まんをさっと購入し、プラットホームに上がる。さすが三宮駅エスカレータがあるので楽である。
当初20時39分発の新快速を予定していたが、前の新快速が20分遅れの20時29分に到着し乗り込む。乗車した車内で、当初は座れなかったが荷物の軽装ぶりで判断し、これは大阪駅で降りるだろうと予測した夫妻の座っている座席をマークしていたら、予測通り大阪駅で下車したので無事に座席を確保。ここから米原駅までは、すっかり疲れ果てていたのでお休み。
米原駅には、定刻の23分遅れの22時14分に到着。予定よりも7分早く到着。しかし乗り継ぎの列車が無いので結局は同じであった。列車を待っている間に、先ほどバスの中から状況把握の為に大阪へ帰省しているりゃんに打ったメールが返ってきた。大阪もかなり揺れたらしい。地震を体感しなかっただけでも、自分は幸せなのかもしれないと思った。
しかし米原駅で乗り継ぎ列車を待っていると、構内放送で後続の列車との連絡のため発車を待つとのアナウンスがあった。定刻通りだと後続の列車は事実上名古屋の最終連絡の列車でもあり、18きっぷには欠かせられない「快速ムーンライトながら」にも連絡する列車である。しかし、自分はMLながらには乗らないし、その1本前の普通列車で名古屋へ向かうつもりなのだ。この乗り継ぎの列車が遅れる具合によっては連絡しなくなり、帰れなくなる可能性もある。
結局、後続の列車が20分遅れで到着して、乗り継ぎの列車は米原駅を12分遅れの22時41分に発車した。しかし大垣駅でのMLながらへの連絡は車掌がアナウンスしているが、1本前の普通列車への連絡はアナウンスしないので、車掌室へ向かい、抗議と1本前の普通列車の連絡の確保を運転指令に依頼する。青春18切符の場合、有効期限が日付を越した最初の停車駅までと言う定義なので、下車駅によっては遅れにより、かなり微妙になるので時刻表片手に猛烈に抗議する。
結局、大垣駅に23時12分到着し、1本前の普通列車は連絡の手配をして待っていたので間に合い、すぐに乗り換えて4分遅れの23時15分に大垣駅を出発する。
そして23時50分に定刻よりも3分遅れで名古屋駅に到着する。本当は乗り換え回数を減らす為に、次の金山駅で地下鉄に乗り換えて帰りたかったのだが、列車の遅れ加減によっては、次の金山駅に到着時間が遅れて地下鉄に連絡しない可能性もあるため、名古屋駅で地下鉄に乗り換えることにした。
膝が再び痛み、下りの階段がとても辛いが何とか地下鉄まで到着。23時56分に名古屋駅を発車した。これで無事に家まで帰れると安心した束の間、再び地震が揺すったようである。走行中の地下鉄車内に居たため全く気が付かなかったが、安全確認のため次の伏見駅で安全確保が確認されるまで約10分ほど停車し、再び出発したが40km/hの徐行運転である。次の栄で、最後の列車に乗り換えたがこちらも徐行運転で、結局は11分遅れの24時22分に最寄り駅に到着。初めて使うエレベータで地上まで上がり、自宅まで3分ほど歩いて到着する。
2日間、鉄路だけでも計1036.1kmの旅であったが、台風が近づいていても雨に遭わなかったり、地震にあっても揺れを体感することなく過ごせ、列車も何とか問題なく帰ってこられたという事は、幸せであったのであろう。