振り返って

今年一年を振り返ってみると「看護・介護」「辛抱・辛い」の一年であった。

母が2月にお寺の境内の砂利道で転倒して足の指と甲を骨折してから、悪のスパイラルに突入してしまった。
3月には腎不全から来る心不全で救急車運ばれ、3週間入院する。
5月には掛かりつけの内科医の玄関先で転倒して、骨盤にひびが入る。以後、歩行器を利用しないと歩けなくなる。
6月には透析の準備でシャント造成手術で2週間ほど入院。
7月には腎臓内科通院時の検査で高カリウム血症が発覚し(腎臓病患者には禁物のキュウリやトマト等の畑で出来た生野菜を食べさせ過ぎたのが原因と思われる)、3週間ほど緊急入院。
9月末に腎盂炎で救急車で運ばれ入院、その後衰弱がひどくなり10月後半から透析開始する。
12月は体調が落ち着いてきて、廃用症候群のリハビリで車いすを押して歩けるようになってきて、そろそろ転院先を探しましょうとの話になってきた矢先、心臓のカテーテル検査で組織生研を行った際に心臓に穴が空き、血液が漏れるトラブルが発生し、急遽開胸手術により止血処置を行う。さらにその際に足の付け根に血栓が出来て左足指先が壊疽し掛けたりしていて動かせず3週間固定していたら、さらに廃用症候群がひどくなった状態での療養病棟があるリハビリテーション病院への転院させられ、年越しも病院で迎えることとなった。

自分もそれにより、自己犠牲の一年であった。
昨年末ごろから一緒に18キップで旅行に行ったり、毎日のように長文のメールをやり交わしていた♀がいて、今度こそいい感じに行けるかなと思っていた矢先、3月の緊急入院でその翌日に予定していた野球観戦・食事のデートをドタキャン。一緒に行けるグアムへの慰安旅行もキャンセルせざる得ず。その後、別の野球観戦の機会にも誘うが断られ、以後上手くいかず終結してしまった。

その♀もお母さんを5年ほど仕事を辞めて看護して看取った人なので、気持ちを分かってくれていると思っていたが、やっぱり所詮他人の介護も目に見えてきて嫌になったのだろうなと悟った。

事実、明るい見通しは立たないし。
今後、リハビリ病院で状態が良くなって退院したとしても、以前の状態に100%戻ってくることはあり得ないし、以前以上に介護が必要な状態であろうということは容易に予測される。オムツが外れることはまず無理であろう。

ただでさえ「長男」と言うだけで嫌がられるのに「同居」「介護」が付帯する条件付きでは、結婚も絶対に無理だと思う。自分に付帯条件を超えるような男としての魅力もないだろう。それに自分もそんな状態で「人を幸せにする」と言うことを約束できないし。それでも「付いてきます」何て言ってくれる人なんて居るはずがない。

明るくない見通しに自分自身、何度消えて無くなりたいと思ったことか。
一家心中でもして、他の人にも迷惑をかけずに消えて無くなるのがいいのではなかろうかと今も思う。
この先、どれだけ続くか分からないし、自分自身一人になった時には自分も弱ってきても面倒を診てもらえる人がいなければ、野垂れ死にするか、赤の他人に迷惑をかけることにもなる。

これが自分の人生なんだなと諦めるしかないのだろう。

今出来ること。生きていた証に人の役立つことをしたいなと思う。
こんな自分でも人の役に立てる新しい一年にしたいと思う。

明るくない一年のまとめとなったが、今年一年迷惑をかけた人にはごめんなさい。
そしてその恩返しをしたいなと言うのが、新年の目標である。