今年を振り返り、来年へ。

はてなの方はご無沙汰でした。
すっかりオリンピック振りな更新ですが、今年のまとめを。

2年前から引き続き、母は入院生活を送っています。
元々の入院した原因の疾患とそれに伴う廃用症候群は、リハビリの成果もあり良くなりましたが、糖尿病が原因と思われる左足の血行障害による壊疽で、一時は左足の切断を言い渡されましたが別の大学病院を紹介され、血管のカテーテル治療と皮膚科の再生治療により、奇跡的に左足の切断は免れました。
その間、透析付のリハビリ療養病院と大学病院間を何度も転院の繰り返しの入院生活でした。
壊疽部分はほぼ再生され治癒し、やっとのこと左足への負荷を掛けてのリハビリも出来るようになりました。ただ血管の閉塞は幾度も繰り返すので、また詰まったらカテーテル治療の繰り返しが生涯続くことでしょう。

今までは病院で壊疽部分の薬塗やら処置をしなければならなかったのと、動けれなかったのもありましたが処置の必要もなくなり、リハビリも再開して以前までとはいませんが動けるようになれば当然、家に帰りたくなります。

ただ昔のようには動けない。家に帰っても日中は一人だけ。家の中で車いすで動くのは難しい。目も悪いのでインシュリン注射を一人では厳しいなど課題もあります。

正月に外泊をするだけでも、いろいろとすったもんだあり大揉めで大変でしたが退院となるとさらに大変となることでしょう。

自分としては、帰ってくるなとは言えないし、帰らせてあげたい気持ちはあるけれども実際は自分が全負担を受けることになり、自由も何もなくなり潰れてしまうかもしれません。
今の仕事では時間も自由が効かないので、辞めて別の仕事も考えなければならないかもしれないと思ってます。

病院で生涯を過ごし長生きしても決して幸せとは思えないし、例え一家心中しても家で過ごして生涯を終えた方が幸せなのかなと思わないでもないし、難しい選択になりそうです。

母が親として自分の事だけではなく、子の生涯も考えれる人ならばまた違うでしょうが自分がまずは家に帰りたい一心なので、そんな判断は出来ないでしょう。


話は変わり、今年の一時モテキに入ったかと思いましたが、やはりそれもダメでした。
一人は同い年で同じ地区に住み、蕎麦好きで話も共通点があり合うのかなとも思ったことがありましたが、攻撃的な性格と特定宗教を信仰されているみたいで、一度はお会いしましたが上手くお引き取り願いました。
もう一人も同い年で、ドラゴンズ好きで話も合うかなと思いましたが、
いかんせん中日が好きすぎて、こっちが誘ってもシーズン全ホーム試合を一緒に通う友達がいて一緒に行くことも出来ないような人で、自然にフェードアウトとなってしまいました。

でも、こんな条件の悪い自分にちょっとでも興味を持ってくれる人がいたことは嬉しかったです。
二人の共通項はどちらも片親を亡くされている方だったので、介護・看護の事が分かってくれる人でした。しかし自分の事を棚に置いて人の事は言えませんが、やはりこのぐらいの年になると残っている人は難ありの人しかいないのかも知れません。

来年はきっと自由もなくなるし、もっと厳しいこととなると思います。
この二年間、ある程度自由があったけれどもそれでもダメだった、いわば「ダメ男」だと思うのでもう無理かなと思います。

来年は「無欲」「諦める」「人に迷惑を掛けない」をテーマにして生きて行こうと思います。人の邪魔にならないよう隅っこの方で過ごしていきます。